この山城は、この地の地頭湯浅宗重が、天然の要害地に人工の手を加えて築いた山城で、 平安末期から源平時代 (鎌倉時代)、南北朝時代(室町時代)までおよそ三百年間、 紀州の代表的武士団湯浅党の本拠地とした山城である。
標高:78m/比高 58m 関連地名:庚申山/別名 すり鉢山 現状:雑木林 遺構:曲輪・土塁・ 堀切 築城主体:湯浅 氏
湯浅城は、湯浅平野の中央奥にある標高約78メートルの庚申山に築かれていた。城からは平野を見渡すことができ、地域支配の拠点としてふさわしい立地だと言える。また標高の低さは、在地とのつながりの強さを物語る。
現在も山頂に向けて多くの曲輪、土塁、空堀が原形のまま残されており、落城時文安4年(1447)の戦死者のものと伝えられる墓石(自然石) や「抜け穴」と思われる洞窟なども残されている。中世の山城として全国的にも代表的なものである。
湯浅城跡入口 (引用:なんとなく城跡巡り)
曲輪 (引用:なんとなく城跡巡り)